N.O.(Nord Ost)

学校ないし 家庭もないし 暇じゃないし カーテンもないし

「再考の夏」 夏について考えてみる

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◾︎明らかに夏が来た。

毎年毎年、天気の振れ幅が加速度的に大きくなっている気がする。そんな中でも、「本当に夏は来てくれるのか?」「いつになったら夏なんだ?」と、毎年毎年心配がるけど、どうしたって夏は来る。気づいたら[あらゆる人称代名詞]はなんとなく夏だった。

 

 

夏を好きか嫌いかで言えば僕は大好きで、それは


①自らの愚かで適当な部分が多少なりとも許される雰囲気があるからだ
②様々な創作物で夏をテーマにしたものは殆ど全部良い
③なんとなく嬉しくて、なんとなく切ない

 

この辺りの感情によるものと、今までの思い出が作用しているからだ。夏を嫌いになったことは一度も無い。今年もよく来てくれました。

 

さて、そんな感じで、大好きな夏だけど、もちろん僕以外にも好んでいる人が多いメジャー季節だ。
由比ヶ浜全員集合乃風系の人たち、低所得のバンドマン、オタク、子供、いい歳こいたオッサンやババア、立派に生きるハイカーストのサラリーマン、立派に反吐が出る非正規雇用、老若男女問わず夏派の人間はけっこう多い。
特に、瞬足を武器にコミケにエロ本を買いに行くオタクと、パチンコ屋で台を殴り街で人を殴るヤカラ系の人たちが等しく「夏愛好家」なのはけっこう面白いと思う。


漫画、アニメ、ゲーム、いずれも夏を特別に扱うオタク作品は多い。テコ入れと言えば水着回だし、夏を無視するオタク作品はかなり少ない。
ヤカラ文化圏の人たちも、CR海物語とか、何だか変な花柄の短パンとか、サーフ系という化石ファッションだとか、夏っぽい格好を年中好んでいるし。
ハイカースト健常者はどうだろう?彼らの健常レジャーと言えば、BBQ・海・プール・サーフィン・リゾート。ローカースト人間の想像するイメージは余りにも乏しく、ズレてるかもしれないけど彼/彼女らが夏大好き人間なのは間違いない。
vaporwave的な非健常カルチャーからしたって全面にトロピカル感を押し出している。シーパンクやfuturefunkとかのインターネットカルチャーは朽ち果てかけたリゾートをグリッチで掻き回して再構築している。

 

やはり、趣味や思想の前に、「夏が好きかどうか」みたいな感情の線引きがされている気がする。夏は巨大な浴槽みたいなもので、浸かっているから友達!では無く、せめて同じ夏を楽しんでいるうちは互いに不干渉で行きましょうよ、的な配慮を全てのカルチャーが持っているような気がする。


夏の当事者はたぶんほとんど「季節が暑いんだから、暑苦しいのは無しにしよう」と思ってて、空気感の焚付けをするのは夏の姿を煽るメディアか、本当にメチャクチャ馬鹿で感性の無い人のどちらかぐらいなものだろう。

 

押し付け無く夏を満喫したい。熱を持ったアスファルトだって、冷房の効いた部屋の匂いだって、やはり夏にしか楽しめないのだから、インドア/アウトドアという違いで夏の価値は落ちない。思い思いの夏があるのだ。

ただ、それでも僕の場合、夏の空気に何となく流される。元気で健常な遊びをしたくなるし、外を徘徊する癖は一層強まる。夏が過ぎる前にアレもコレもこなして、手中で溢れゆくのを防ぎたい。
そんなことをしていたら、もちろん間に合わず、いつだって満足出来る前に夏は終わる。

 

とにかく、この国の夏の最大の魅力は、夏が終わることそれ自体に尽きる。
嘘のような弾け方が、焚き終わりの蚊取り線香のように、いつしかスッと消え残り香と紫煙だけが漂うばかり。
思えば夏に楽しむモノには、そんな刹那性を帯びているモノが多いような気がする。その辺のリンク度の高さも、夏を夏たらしめているのかなと思う。

過ぎゆくモノは綺麗で切ない。人間誰しもが、再現性の無いモノの美を本能的に理解出来ているから、誰しもが夏を特別に思って、夏を好きになるのだろうか。

次、気が向いたら、オタクカルチャーと夏の距離感や親和性なんかについても考えてみたい。とらき☆すたニコニコ動画の無料配信で視聴し直しながら思った。