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NordOst無能の人

学校ないし 家庭もないし 暇じゃないし カーテンもないし

志村貴子「娘の家出」の終わりによせて

志村貴子「娘の家出」6巻を読んだ。最終巻。

ここ最近で一番いいと思った漫画だった。

前に2巻を読んだ時なんかは、感動した勢いでパッとtumblrで感想を書き殴った。それが定期的な感想アウトプットの始まりだったりする。とにかく大事な漫画が終わった。

 

娘の家出は、女子高生4人の人間関係を起点にツリー状にキャラクターの繋がりを広げていって、サブストーリーが連鎖的に生まれていくよう描かれている群像劇。

全てのキャラクターにある程度平等な掘り下げがなされていた(それを実行する作者の腕が物凄かった)だけに、どうしても最終巻からは駆け足な印象を感じた。あっさりし過ぎている。
これ、良かったけどおそらく打ち切りだろう。掲載誌のミラクルジャンプは休刊になっていた。

ただ、それは作品の魅力を損なうことじゃない。
むしろ、もう続きが読めないのか、という喪失感が一層名作たらしめている。超個人的な見解。


娘の家出の何が良いの?と聞かれたら、「人と人が向き合ってぶつかっている様」、これに尽きる。
端から見たら大した事のない問題で悩んで、それでも乗り越えていったり別の道を模索しようとする人の姿が淡々と描かれている。人間が描かれている。どこを切り取って読んでも泣きそうになる。

 

4巻の

 「なんで正しくあろうとすることにこだわるの?少しでもまちがったらいけないの?」

 

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という言葉は作品に通底する考え方のように思える。みんなまちがっている。
やっている事だったり、やり方だったり、考え方だったり、捉え方だったり。
色々、何かしら間違っている。「正しいこと」という言葉に実態はないんだよな、と思った。

 

志村貴子先生が「娘の家出」というタイトルに、「家出」という言葉を用いたのは、「自分の間違いと向き合った上で、それでもその先へ進むこと」を提示したかったからかな、なんて考えたりもした。

 

この漫画を通して、生きている全ての人は何かしら物語を背負って人生を作っているんだ、ということを改めて思った。
幸せという言葉が良く出てくる。先へ進むこと、主体的に生きることが幸せへ至る道なんだとこの漫画は示している。

別の作品、放浪息子では

「ぼくの夢は ぼくの夢と折り合いをつけること」

という素晴らしい言葉も出てくる。

志村貴子先生より人の姿の紡ぎ方が巧い漫画家は現状いないと言ってもいい。

 

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帯のフレーズもいい…マジで大好きな漫画…